ネオ・ユニバース

星の降る夜のことでした(Twitter:@salz_zrm)

舞台「カラフト伯父さん」のはなし

カラフト伯父さん東京公演を観てきました。

以下ネタバレおよび超個人的解釈をずらりずらりと並べています。

本当に個人的な備忘録のようなものですので、ネタバレは嫌だ!という方はどうぞ読まないことをおすすめします。それから文章中の役者のセリフはあくまでニュアンスです。だいたいこんな感じだったはず、と言うレベルのもので全く正確ではありませんのであしからず…!

 

 

それはまるで、冷たい鉄の上で寝るような日々

舞台は2005年・冬。

セット正面の引き戸を面倒くさそうに開け、バンパーのへこんだ軽トラックを運転して帰宅する、伊野尾くん演じる徹くん。いささか乱暴にトラックのドアを閉め、帰りに買ってきたのであろうコンビニの袋をソファに投げ置く。開演前から(演出の一環として)鳴り続けていたラジオを止め、ふと工場を見渡す。目の前に広がるのはさびれたトタン屋根、油でぬるぬるとした床、赤茶に錆びた階段、無機質な事務机。それから壊れかけのストーヴに小さな冷蔵庫。それらをゆっくり見渡してから彼はひとつため息をついて、ソファにどっかり座り、先ほどのコンビニの袋を漁る。すると出てくるものはチョコレートブラウニーのスティックやカップラーメン、それからポテトチップスやコーラといったジャンクフードばかり。

 

ここまでの約10分間で思ったのは、多分徹くんはひとりっきりになってからずっと、こんな生活をしていたのだろうということです。彼の買ったものには、温かいものがひとつも入っていません。カップラーメンはお湯を入れるところまではいくのだけれど、このあと話が進んでいくため、その場では徹くんが食べる演出はありません。彼はこの舞台の冒頭で、温かいものはなにひとつ口にしないのです。飲んでも牛乳、食べてもバナナ。季節は冬、着かないストーヴ、冷え込む工場内、寒くて脱げないダウンベスト。なんて温度の低い生活。きっとこれが母と義父を亡くしてからの彼の『普通』だったのでしょう。

 

破られる沈黙と突然の熱、そして絶望

突然やってきたカラフト伯父さんは「久しぶりだなァ!」と徹くんに話しかけます。今日までの彼の『普通』の生活を一言で壊せるほどの、あまりにも高い温度を持って。しかも仁美さんという、カラフト伯父さんよりもさらに熱量の多い女性を伴って。彼らふたりの持っている人間的な温度は、低温の生活を続けていた(あるいは続けざるを得なかった)徹くんには、それこそはじめは手に負えないほど熱かったことでしょう。だから彼は全身で叫んだ。こっちへ来るな、目の前から消えてくれ、今更なんの用があるというのか、ふざけるな、と。

 

しかし仁美さんは明るくて聡くてちゃんと大人で、熱量の調節がうまい女性でした。工場を訪れた初日こそは初対面の男の子に「ちょっとまだァ?あたし疲れてんのよ何時間も立たされて!ここに来たらお金貸してくれるんじゃなかったの!?」だなんて言えちゃう、奇抜で傍若無人な人に観えた彼女でしたが、日に日に徹くんと距離を縮めていきます。いくら徹くんが邪険に扱っても暴言を吐いても、仁美さんはさらりとかわして自分のテンポに巻き込む。会話を交わすうちに、いつからかささくれた徹くんの心にも仁美さんの熱量がじんわりと沁み込んでいく。そして劇中で唯一徹くんが食べる温かいものは仁美さんの作ったお味噌汁でした。徹くんにとって、他人が作った料理を食べることは一体何時ぶりだったのでしょうか。ふざけた口調で味見を頼む仁美さんですが、徹くんが美味しいと伝えた時に「よかったぁ、こっち(関西)は薄味じゃない?」と彼の味覚に味を寄せてくれたことがわかります。徹くんがお味噌汁を口にした瞬間、今まで一文字に結ばれていた口元がほんの少しだけ、ほころびます。徹くんの体内に温度が数年ぶりに、小さくだけれど確実にほうっと灯る瞬間を観た気がします。

 

一方カラフト伯父さん(悟朗さん)に対する徹くんの態度は首尾一貫して「冷たい」。そこに伯父さんなんていないような素振りをみせたり、無視したり。 その態度の根源は絶望からくるものではないでしょうか。だってアンタは母さんが死んだ時…だってアンタは阪神淡路大震災の時…だってアンタは義父が死んだ時…。ちいさな徹くんにとってヒーローであったはずのカラフト伯父さんは、本当はヒーローではなかった。普通の、人間だった。あれだけ会いたかったのに。あれだけ信じていたのに。大事な時に駆け付けてくれない、俺の大切なものが奪われていくのを止めてくれない、そんな人間を信じることを、俺は何年もかけてようやく諦められたのに。自分の都合のいい時だけ現れて金をせびってくるなんて。

 

カラフト伯父さんのことをヒーローだと思っていた愚かな自分への絶望と、単なるくたびれた伯父さんになってしまった悟朗さんへの絶望と。ふたつの絶望に挟まれた徹くんは、今更伯父さんを受け入れることは出来なかった。この寂れた小さな工場で、徹くんが独りで必死に守ってきたプライドが音を立てながら軋みます。そして悟朗さんのプライドもまた、悲しい音を立てるのです。元妻が死んだからって、のこのこと顔を出す訳にはいかないだろう…阪神淡路大震災の時は確かに来られなかったが、すぐに電話をしたじゃないか…元妻の新しい男が死んだ時、愛しいお前に、俺の事を「カラフト伯父さん」と呼び懐いてくれる息子に、どんな顔でお前に会えばいいと言うんだ…。息子に借りた金で身を立てなおすだなんて恥ずかしい事、俺には出来ない。だからでしょうか、悟朗さんは折角徹くんが給料の前借りまでして用意したお金をお酒に変えて飲んでしまいます。新しい人生のきっかけになるはずだったお金を、悟朗さんの思いつく最悪最低な方法で浪費します。その行為は徹くんに対してまるで「俺はヒーローなんかじゃないんだ」と遠回しに伝えるかのよう。

 

激突、それから

クライマックス、徹くんと悟朗さんふたりが言い争うシーン。トラックの荷台で、互いのプライドと絶望をぶつけあう、あのシーン。徹くんを今も毎晩襲うのは、指を伸ばせば届く距離で人の命が失われていくあの悪夢のような震災。迫り来る炎、叫び声、後ろを振り向いてはいけない…!九つの男の子も、近所のお兄さんの事も助けられなかった。苦しかった、怖かった寂しかったどうにもできなかった会いたかった会いたかった会いたかった会いたい会いたい助けて――他の誰でもなく、カラフト伯父さん!『ほんたうのさいわひ』って何ですか、それはどこにあるのですか、手に入れたらしあわせになれるんですか、あなたなら知ってるんでしょうカラフト伯父さん!

 

このシーン、ものすごい迫力です。不思議なことに、徹くんの背中の後ろに伊野尾くんが透けて見えるのです。等身大の男の子が涙でぐしゃぐしゃになりながらも、低温の怒りを吐き出すその姿の後ろに、役者・伊野尾くんがいました。本来演劇を観るときに、登場人物に役者本人のバックグラウンドを重ねるのはルール違反になるのでしょうか。わたしにはそれが良いことなのかどうか、分かりません。けれども徹くんの後ろには建築学科という視点で震災に関しての論文を修めてきた伊野尾くんが、確かに居たのです。

 

劇中後半にかけて怒濤のように繰り返される『ほんたうのさいわひ』については、わたしのなかでは結論は出ませんでした。徹くんがようやっとカラフト伯父さんに会えたことは確かに『ほんたうのさいわひ』ではあるでしょう。でもそれはきっとほんの一部。悟朗さんは言います。「そうだなあ、きっと(仁美さんの)お腹の子どもの子どもの子どもくらいが見つけられるんじゃないか?」と。でも徹くんの顔は温度を持ち、明るく晴れています。少なくとも、徹くんが満足いく分の『ほんたうのさいわひ』を彼が見つけられたのだとしたら、嬉しく思います。

 

最後の最後に、寂れた工場に降り注ぐひとすじの雪は、3人にとっての道しるべであり、門出の祝いであり、そしてある種の赦しの証のようでした。

 

ハロー今君に素晴らしい世界が見えますか 

舞台カラフト伯父さんには宮沢賢治作品の各作品に深く影響を受けているシーンが多々存在します。カラフト伯父さんのあだ名の由来が宮沢賢治樺太旅行記から来ていたり、徹くんが「銀河鉄道の夜」に登場する人物・ジョバンニに語りかけたり。宮沢賢治が実の妹を失うその時に残した「永訣の朝」という詩からのオマージュも見られました。

 

以下にリンクを張ったのはGoose HouseによるGOING STEADYの『銀河鉄道の夜』という曲のカバーです。イントロにバッハの「主よ人の望みの喜びよ」がアレンジされているこのバージョンがとても好きなので、あえて今回は本家ではなくこちらを選んでご紹介します。カラフト伯父さんに登場する3人にぴったり誂えたかのような歌です。是非一度聞いてみてください。

 

 

ハロー徹くん、今君に素晴らしい世界が見えますか。

 


銀河鉄道の夜/GOING STEADY(Cover) - YouTube

 

銀河鉄道の夜

僕はもう空の向こう 飛び立ってしまいたい

あなたを

銀河鉄道の夜

僕はもう空の向こう 飛び立ってしまいたい

あなたを想いながら

 

星めぐりの口笛を吹いて

裸のまま ひとりぼっち 涙も枯れた

 

ハロー今君に素晴らしい世界が見えますか

ハロー今君に素晴らしい世界が見えますか